2011年1月22日土曜日

角守先生追悼記(3)

角守先生追悼記(3)
焼香をすませたあとに、三人で通夜振るまいをいただきました。話をしていますと、隣に座っていた白髪の人が大道中学校の話をしていましたので、私たちは大道中学校の角守先生の教え子だと告げると、その人も、角守先生が田浦小学校の6年の担任になった時の教え子と言うことでした。私たちより20才くらいご年配の方でした。角守先生が美術の先生だったと言うと驚いて、「角守先生は確か理科系でしたよ。算数が得意で理路整然と授業をされていた先生が、美術を教えていたなんて信じられない」と言っていました。

角守先生は、横浜国立大学の前身の師範学校の出身だと言うことも教えてくれました。私たちがデンスケというあだ名をつけて気軽にお付き合いしていた角守先生は、実は大変な人だったと言うことがわかりました。その人によると、角守先生は、出世競争などで、人と争うことが嫌いだったということでした。「勤めていた学校の先生の間で争いごとか何かがあって、それに嫌気がさして、一戦を退く形で大道中学の美術の先生になったのではないか」と言っていました。

料理も少なくなってきて、まわりのお客さんも少なくなりましたので、お開きにしました。帰りは、衣笠駅から横須賀線に乗って逗子まで出て京急で六浦に出ました。小島さんと別れ、真塩くんと大道に向かって歩き出しました。途中で栄屋の店先を見ましたら、松本くんがいましたので寄って話をしました。角守先生が亡くなったことは、知らなかったと驚いていました。次の同窓会でも会えると思っていたのに残念だ、と言っていました。僕も真塩くんも大きくうなずきました。

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