角守先生追悼記(7)
今までの同窓会で、角守先生が話された内容を掲載します。同窓会の時には、いつも楽しいお話をしていただきました。
【第2回同窓会 1994年】
懐かしいことばっかりで何がなんだかわからないのですが、皆さんと初めてお会いしたのは中学1年であったと思い出し、その頃の色々なエピソードを思い出します。池に落ちたと言うような事件もあり非常に変わった人が多かったと思います。それだけに覇気があり、やる気があったなあと思います。変わった人がいないということは、全くいるかいないかわからず、つまらないものです。私もそのような変わった人たちのクラスを持ち楽しい経験をしました。
私は今、職をはなれて皆様には、うらやましがられるような自若の生活をしていますが、少しは暇かというとそうでもなくて、つまらない用事がたくさんありまして自分が病気になる暇がないほど忙しい毎日です。こんなでは落ちついてあの世にもいけない。(笑)今お墓の心配をしています。いかにして自分のお墓を手にいれるかに頭を悩ませています。笑い事じゃないですよ。皆さんもいつかはきっと考える時期が来ます。
当時の先生方も亡くなられた方が多く英語の和田先生、家庭科 の田中先生などなつかしい先生方のことも思い出します。皆さんもニックネームなどつけて困らせたこともあったと思います。思い出はつきず、たゆまなく湧いてきます。この会のこれからのご発展を期待いたします。
【第3回同窓会 1998年】
えーと久し振りに皆さんともお会いすることで僕も懐かしく思っています。ただ、皆さんからの手紙には私達も中年になりましたと書いてあったんですけども、そうすると僕なんか昔から老年だったんで、情けないって言っては何ですけど、やっぱりこれは自然の成り行きで、これはどうにもならないので、ただ皆さんが立派になられたという事が、こう、しみじみ分かって嬉しく思ってます。
あの頃を思い出せば、皆さんが中1に入ったばかりの頃のことが、やっぱり一番記憶に残ってまして、この子供達が果たして順調に卒業まで持つかなって思ってたのですけれども、みんな発育盛りで、元気一杯だったのでそんな事は問題にならないのですけども、とにかく、この学年は元気の目印でずっと過ごしたように記憶しています。時には失敗もありましたけど、何とか社会人になって、ここに顔を合わせられる事は感慨無量です。
私は、ひたすら年ばかり取っちゃって年を言うのも恥ずかしい様な気持がしておりますけど、ただ、平凡な毎日を送っていても、やはり何か感ずる事がある訳です。でも色々話も出るでしょうけども、私は何かやらなくてはいけないのだと、いたずらに年を取ってはならないのだと、それが私の若干一つの誓いみたいなものであります。このように、口では立派な事を言っていますが、なかなか出来ません。けれども今日はこれをやるんだと、どんな事をしても犠牲を払ってでもやってしまって、後で放り出しちゃう、そういうふうなやり方でやってるんですが、いつまで続くか、その先は分かりません。今日は気軽に忘年会を兼ねてと、そういうつもりで来ましたから、硬くならないで楽しくやりましょう。どうも。
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