2011年1月22日土曜日

角守先生追悼記(4)

角守先生追悼記(4)
北海道にいる大久保くんからメールが入りました。大道中学のホームページを見て、角守先生の思い出を送ってくれました。こんな話が書いてありました。
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廣瀬君にも話した事があるかもしれませんが、中2の時、角守先生が担任でした。家庭訪問があり、当日は、昼過ぎに私の家に来ることになっておりました。当時、父親が事故療養中で家におり、母親は働きに出ておりました。夕方、当然もう家庭訪問は終わって、先生は帰っていると思いながら、先生が何を話されたか心配しながら玄関を開くと、なんと 顔を赤らめて、酒を飲んでいるデンスケが居るではないですか。その後の記憶は定かではないのですが、先生と話した記憶がないのできっとバツが悪くて、そそくさと帰られたのだと思います。

親父の話では、角守先生は陸軍士官学校出の中尉さんで戦時中の話で盛り上がったとの事でした。士官学校出という事は超エリートだったと、後で知りました。記憶力は全く衰えましたが、この件は あまりにもあり得ないことだったのではっきり覚えております。私の家の後、家庭訪問の予定だった人はどうなったのか知りたいものです。多分、南川地区のクラスメートでしょうが、誰かは覚えてません。私の父は、1925年(大正15年)生まれで、存命であれば今年満86歳ですから、角守先生より3歳位下だったのですね。その父も3年前に他界しました。
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大久保くんの話からも、角守先生は、エリートだったことがわかります。何を言っても怒らない好々爺のようにふるまっていた角守先生は、実は、何でも知り尽くしていて、それを外に出さない人だったのではないかと思いました。大久保くんの話と通夜振るまいの席で田浦小学校時代の教え子と言う人から聞いた話を合わせると、角守先生は、陸軍士官学校を出て中尉になり、戦争が終わってから師範学校で教師になる勉強をされ、田浦小学校の教師になり、その後で大道中学に赴任したことになります。

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